2018年9月16日日曜日

日本語の名前

 1990年の夏、私たち夫婦は大切な友人を事故でなくした
夫が私を見初めてくれた時から私たちを見守ってくれていた人。夫の人生にはなくてはならない大切な親友だった。

 折しも大きな台風が日本に押し寄せた後であり、私たちは友の元に駆けつけることができたけれど戻る飛行機の予約は満杯で、その地で足止めになる。
ようやく取れた飛行機は二日後。私たち夫婦はその二日間、友がこの地で愛した場所を訪ねまわった。
 どこへ出かけても、彼の人柄を慕う人々に会う。世の無情と彼の無念を思い、私はただただ泣いていた。

 そんな旅の中、二人で子どものことを話した。いつの日か私たちの間に生まれてきてくれるかもしれない我が子。その子が男の子だったら彼の名前の一字をつけよう。夫の一字と彼の字と、そして彼のような人に育ってくれるように育てよう。そんなことを話していたら少しだけ未来がみえた。大きな悲しみの淵で優しい光があたっているような、そんな気がした。


 そしてそれからしばらくして1994年の秋の夜、私たちは初めて親になった。
静まり返った夜の病院で、大きく響いた産声を私は一生忘れない。
難産に苦しむ間、外は大雨だった。でも夫が出産に立ち会ったあと家に忘れてきたカメラを走って取りに行った時、外は雨上がりの綺麗な月夜だったという。

 夫が息を切らせて病院にもどってくると、気がついた看護婦さんが彼を新生児室からだしてくれたのだとか。
難産に苦しんだのは彼も一緒。たくさんの赤や青い斑点を顔につけてピンクの毛布に包まれた彼を、恐々と抱く若い夫。看護婦さんが撮ってくれたそんな二人の写真を見ると、過ごしてきた日々を思い私は胸がいっぱいになる。彼はすぐに基行と名付けられた。
そしてこの親子がまとめた論文が。今年たくさんの方々に読んでいただけたのである。

 大変ありがたいことであったけれど、一つだけ残念なことがあった。
Motoyuki と英語でかかれてしまうと、私たちがこの名前に込めた思いを伝えられない。友のご両親は、彼が生まれた時から孫も一緒と、いつも成長を見守っていてくれている。お母様は彼が生まれてすぐに、地元紙へ名前の由来のエッセイを綴ったほどであった。
ご両親に友の一字を見てもらいたかった。でも、それは叶わぬこと。仕方がないと諦めていた。
ところが、思わぬことで日本語版の方にも詳しく掲載していただけるという。
夫は感謝をこめて、漢字での名とともに余談ながら彼の名前の由来を伝えた。
編集者の方からは、日本語での表記は教育的な意義だけではなく、日本の研究者にとって特別な意味を成すこともあるのだと知ったと、喜んでいただけたそうである。


https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v15/n9/「必要かつ十分」という語句の誤用をなくすべきだ/93823#.W5kUofKt2iM.facebook

 今日は彼の誕生日。
私はいつもあの日、友の棺の横で泣き崩れていたお母様の姿を思い出す。
あの日のお母様は、今の私ぐらいの年だったはずだ。母として自分が過ごした年月を思う時、あの日、一緒に横で泣いていた私とはまたちがう思いがこみ上げてくる。どれほどの悲しみ、苦しみだったことだろう。言葉にできない。

 お母様は、私たち家族の安寧を、いまでも日々彼に祈ってくれているそうである。そして私は、彼のような人に育てと3人の子どもたちを見守っている。彼の命は続いてるのだ、彼の名前とともに。 ね、そうだよね。