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2013年12月23日月曜日

命日に思う


 今日は私の父の命日
3年が経った。
亡き父のことは今でも,どんな時でも思い出す。
おだやかな気持で思い出す日が多いけど、命日の今日は怒りも思い出すから嫌だ。
私が好きだった父の死すら伏せて、私を生家から遠ざけようとした人たちのことを思い出すからだ。
人の業にまみれて、悪事をはたらいて平気な顔をしていられる人間達とは一線を画したい。
私はそう思いながら自分の子ども達を育ててきた。

 9歳の時から受け続けた虐待
それを隠す為に、嘘に嘘を塗固める努力を続けた本当なら私を守るべきであった人。
私の子育ては、彼らからの呪縛との戦いだった。
今でもそうだ。虐待が始まった日から40年近い年月が経っても、苦しめられる時がある。
それでも、こんな母に育てられながらも、子ども達は三人とも本当によく育ってくれていると思う。

 夫ははいつも、信子ががんばったからだよ。
ちゃんと、自分で逃げないで、きちんと生きてきたからだよって言ってくれるけど、そんなことは絶対ない。あの日に私はこの人にであわなかったら、どんな人生をおくっていただろうと、そう思うと怖くなることすらある。
あなたに守られていたからこそ私は生き直すことができた。本当にそう思わないではいられないのだ。

 私がこんな夫に出会えたのも、父が私の中に植え付けてくれた男性像がよかったからなのかなあ。。なんて、そんなことを言うと、夫は、僕の方が少しだけ賢いかもねって 。って笑う。
確かに,父はそういう人生の思慮深さがたりない人だった。
真面目で誠実な人ではあったけど、人の業に立ち向かい戦う、そういう強さはない人だった。
でも、そんな弱い父だったけど、それでも、私はどうすることもできないほど好きなのだ。

 今でも好きなのだ。大好きなのだ。
父がwise だったら、どんなに私の人生は楽だっただろうとそう思って泣くこともいっぱいあるけど、でも、やっぱり好きなのだ。この気持だけはどうすることもできない。
娘って馬鹿だなあ。。って、自分でもあきれるけどね。。。

2013年11月21日木曜日

私のウェデイングドレス。。。

 この間,ブログを書いてから、何だか自分でも引っかかる。。。
「今更、そんな年でもないしなあ。。」って、そんな、なあ。。。って。

 この自分の気持って何なんだろう。
私はどんな年代の人であっても、幸せそうにウェデイングドレスを着るひとをみるのが大好きだ。ドレスを着る人が女性であっても、男性であっても、新しい伴侶を得て幸せそうに着飾っている人を見ると、幸せのお裾分けをいただいた気持で嬉しくなる。
それが何度目の結婚の人であっても、新しい伴侶の方との幸せのかたちを祝福せずにはいられない。公園や街角で写真撮影をしているお嫁さんに出会うと、それだけで一日が幸せな気持になる。
でも、それでも自分が今からドレスを着るのは嫌なのだ。

 私がウェデイングドレスを着たかったなあ。。なんてちょっとでも口にすると、夫はいまからでも着たらいいじゃない。って大真面目に言ってくれる。
 でも、私はヤッパリ自分の姿は、あの22歳の時でなくては嫌なのだ。
なんで嫌なんだろう。。。変なプライドなのかなあ。。って、この間から気持に引っかかって考えてた。

 何だか悶々と考えてたら。。。そしたら,あっ、そうか。。。って腑に落ちて、そんな自分の気持がかわいくて、一人で笑ってしまった。
私はウェデイングドレスを着るなら,夫が世界一って思える自分でなくては嫌だったのだ。そうそう。そこよお。。。って自分で思い出したら,おかしくて笑ってしまった。
  なんておめでたいことを思ってるんだろう。。って自分にツッコミを入れたい気分だけどね。

  要するに、どうしてこんな人と結婚したんだろう。。とか、イライラして夫に怒鳴り散らすようになった自分では嫌だし、この髪を結ってもらうお金であれが買えたりして。。なんて思うのが嫌なのだ。
自分で自分の首を絞めるように、こんなにハードルをあげて馬鹿みたい。結婚式をするのが趣味で、同じ旦那さんと何度も違うドレスを着て結婚式をしてる友人Mにハリセンでぶたれそう。。。

 そうよね。。やっぱり私には無理。。。って思った瞬間、でも、。。。まてよ。。。もお、なあんにもしなくていいっていう時だったら着たいなあ。。って、また性懲りもなく馬鹿なことを思いついた。
そうよ、私が棺に入って横になった時に、お布団代わりにドレスをかけてもらえたら嬉しいなあ。。って思ったのだ。

 着るはずだったドレスを着ることもなく世を去らなければならなかった花嫁さん。。なんていう悲しい情景を思うと不謹慎だし私の場合はまさにお笑いのようだけど、こんな光景も許されるんじゃないかなあ。。って真面目に思う。
やっぱり、私は着たかったのだ。あの時に,私も着てみたいって言えたらよかっただろうに、私の体型をあれこれ訳もなくあげつらわれた学生時代に自信をなくし、なおかつ、仮装行列みたいなことはしたくないという夫に自分の望みを伝えられなかったのだ。
今なら言えるだろうけど。。。(大笑)

 私が大好きだった祖母は,死装束を自分で縫って、まだ小学生だった私にこれを着るのよって、嬉しそうに見せてくれた。そう、そんな感じで、自分のドレスは自分で作ろう。
思いっきり、ありえないくらい細いウェストで、バービーのようなサイズで作ってみようかな。。。
だって着れなくていいんだもん、お布団なんだから。。。(笑)
ビーズもクリスタルもいっぱいつけて,レースもこんな風に。。。なんて考えだしたら,ワクワクしてきた。

 嬉しくなって夫にその話をしたら、そんな悲しいこといわないで、いまからでも着たらいいってまた優しく言ってくれるけど、でも、私は今から着るより、この方がいいなあ。
かえって幸せな気持ちがして涙が出てきた。
私が年老いて棺に入った時、三人の子ども達が私の姿をみて呆れかえっていたら,それもそれでうれしい気がするのだ。

 ウェデイングドレスに携わる仕事は本当に楽しいし、こちらも幸せな気持になる。
仮縫いの時の、お客様の高揚した姿に触れるのも大好きだ。
だからこそ、私のウェデイングドレスへの思いは、もう昇華してあげたいと思う。
着れなかった、私だって着たかった。。。っていう気持は、もお、おしまい。
だって、これから着るんだもん。どんなデザインにしようかなあ。。
あああ。。。もお。ワクワクしてきちゃったよ♪(大笑)

2013年11月1日金曜日

育児は やっぱりnon stop....

 ついこの間,Etsy のお店のメンテナンスをして,アナウンスを少し変えた。three young children を three children にして、ホント,みんな大きくなったよなあ。。手が離れて,楽になったなあ。。なんて、感慨にふけっていたのもつかの間。。。
うそでしょ?。。。って思うような出来事に今日は振り回された(涙)

 夕べはハロウィン、次男坊も姫も大いに楽しんで,次男坊のお友達二人が我が家にお泊まり。姫は朝ご飯の用意を手伝ったり、いそいそ楽しそう。今日は学校もおやすみ。
そのうちビーズを使ってイヤリングを作り始めた。
魔窟の我が家の地下室から,ビーズをいろいろもってきていた。。。と,そこまでは私も把握している。ところが、しばらくしたら。。。

 「おかあさん、とれなくなっちゃった。。。」って姫
えっ?なに??? っと聞くと、ビーズが耳の中にはいってしまったのだとか。
しかもご丁寧に、なんとか自分でとろうと耳かきを使った姫、それがアダになって、ずいぶん奥に押し込んでしまったのだ。。。

 すぐにお父さんがピンセットを使ってとろうとしてくれたけど、もお後の祭り。
姫の耳の奥に入ったビーズはびくともしない。
はああ。。なんてこと、。。。せっかくのおやすみなのにいい。。。っと思ってもしょうがない。これがまさに,育児よね。。。

 思えば,ようやくおすわりできるようになったお兄ちゃんがハーモニカについてたねじを飲み込んでしまったのを皮切りに、どれほどこういう,なんでこうなるの???っていう子ども達の事件で病院にかけこんだことか。。。

 かくしてゆったりとした朝食を母は一口も食べることなく病院へ。。。

仲良しのWも一緒についてきてくれた♪

神妙??な姫。。。


 結構簡単にとれるかなあ。。って思ったけど,かなり奥に入っていた模様。。。
先生は最初は世界一小さなバキュームよ〜♬なんて楽しいことを言ってたけど,そのうち目がマジになってきたのを,母は見逃さない(笑)

 吸引してもとれないし、いろいろtoolを取っ替え引っ替え。。。でも、それでもとれない。。。
そのうちさすがに姫も痛みを感じるようになってきたけど、後少し!なんとかがんばろう!!!

 最後に先生が顕微鏡を耳に当てて,ものすごく細いマジックハンドみたいなもので、ビーズの穴に引っ掛けて取り出した。。。。

先生も笑いながらもホッとした様子(笑)

これがはいっておりました。。。

はああ。。。一件落着。。。。
ほんと、育児はいくつになっても終らない。。。。

 

2013年7月8日月曜日

夏休みと腰痛の関係。。。

 
 ここのところずっと変だなあ。。。って思ってた腰痛が,今朝になってからひどくなった。
まるで去年のような痛み。あの車いすにのって次男坊の卒業式に出席した時みたい。。。

 去年は庭仕事中に確実に「グニュ・・・」っていう音とともに,変なことが身体におきた。それは自分でも良く覚えてる。
でも、今回はナニゴトもない。。。 自分でも腰痛にならないように気をつけてるつもりだし、それに,朝はまだご飯も作れたしお父さんの散髪もしたし,針仕事も少しはできたのに、お昼頃からとても座ってもいられない。痛み止めも効かない、ものすごい症状になってきた。
自分でもびっくりするくらい。。。

 おかしい,おかしい。。。って思いながら病院に行こうかなあ。。っておもって。やっぱりやめた。
だって,また異常なし。。って言われて痛み止めを飲むように言われるだけ。
あああ。。なにが起きたんだろう。どうしたんだろう。。。ってふてくされて横になってたら、この間のNHKのクローズアップ現代で特集していた「ストレスからくる腰痛」っていう言葉が浮かんできた。

 のんびり暮らしているつもりの私でも,それなりに,人並みにストレスにはさらされてるはず。。。そんな、そんなことあるのかなあ。。なんて思いながらストレスと腰痛の関係をググってたら,『腰痛は怒りである』って、そんな言葉を見つけた。

 本がいろいろ出ているようだけど,私は今読むことができないし、だからこれは本を読んでの感想ではない。
でも、その言葉だけでも思いあたることがあって、ベットの中でいろいろ考えてた。
そう、確かに私はここのところ,自分でも押さえきれないような怒りにあえいでいたような気がする。

 素直に思う。私は『夏休み』が嫌いなのだ。
「実家に帰らせていただきます。。。」なんていう実家は私には存在しない。それは今にはじまったことではない。ずっと、結婚する前から、一貫して私の暮らしの中にはなかった。今更そんな年でもないでしょ。。。って笑われるだろうけど、自分の人生の中で持つことができなかったから、余計に望むのだろう。
私にはないのだよ、って。そう思い知らされるのが「夏休み」なのだ(笑)

 無い物ねだりをはじめると辛いだけ、そんなことをするなって言う私と、楽しそうな人の話題に嫉妬する私、その嫉妬にイライラする私、いろんな私を自分の中で処理できなくなっておさえきれないような怒りがこの痛みを生んだような気がする。

 そんな中、腰の痛みに耐えられず寝込んでいる私の為に、次男坊と姫が買い物にでかけた。
おつりがあったから、お気に入りのクッキー屋さんでクッキーを買ったよ。って、嬉しそうな電話の声。 このボーイソプラノの可愛らしい声も、もうすぐ消えてしまうかもしれないのに。。。
 母は情けない。こんなに恵まれているのに、すぐに無い物ねだりをしてバチがあたるぞ!って、そう思ったけど、でも、そんな嫉妬したり、いじけたりするのも私であると、そう思い返して嫉妬する自分に優しくしてあげることにした。

 そしたら、涙があふれて来て、自分でもどうして良いのかわからないくらい(笑)
そうそう、賢明な人みたいなふりをするから、こんなに心が痛くなるんだよね。
私は情けない人間なのだ。こんなに夫と育てた家族に恵まれているのに、持てなかったものを未だに追い求めて、その、私は持てなかったものを持っている人の方が私なんかよりずっと幸せなんだ。なんて、人と自分を比べたりする。何を幸せって思うか、そんなの人それぞれだってちゃんとわかっているのに。
過去は変えることができない、でも、人は未来を創ることができる。
そう教えてくれながら私に伴走してくれる夫と一緒に、私はいままできたのだ。
私には持てなかったもの。それを今更見つめて持っていないことを確認して何があるのだろう。。。
 
 そう頭ではわかっていても、この愚行は毎年繰り返されているような気がする。
私はそれほど「夏休み」が嫌いなのだ。そう。大嫌い。
それなら、そう認めてしまおう。そしたらきっと、この腰痛から解放されるんじゃないかなあ。。なんて、ホント思ったよ。
私はきっと、自分の中にある「理想の夏休み」に縛られて、自分で自分のクビをしめているのだ。。。それが幻だって、ちゃんとわかっているのに(笑)

2013年4月15日月曜日

いってらっしゃい。

  2013年4月9日、お兄ちゃんはNational Guard に入隊した。
奇しくも4月9日は、母が父との結婚を決めた日。
まさか、それから30年近い年月をへて息子が軍隊に入隊するなんて、あの日の母には想像もできなかったよ。

 日本の国公立大学への進学の道しか許されないご家庭と同じように、我が家もお兄ちゃんの進学に関しては悩みを抱えていた。それでもお兄ちゃんは自分の力で、地元の州立大学は教科書代に至るまで、すべて無償で進学できる道を確保した。でも、彼には彼なりの夢があって、私はどうして良いものなのか、母親としてここ数年は頭を抱える日々だった。

 アメリカの大学進学への費用は、どうしてこんなにも高額なのだろうと思う。もちろん彼が得たように、たくさんの奨学金は用意されている。
それをつかって、自分に用意された経済力に合うような大学を選べばよい、のだ。でも、「自分に与えられた経済力に合う大学」が行きたい大学であるとは限らない。

 我が家のような家庭では、いわゆるアイビー・リーグと称される私立大学への道は最初からなかった。それでも公立の大学であるなら、我が家のような経済力でも応援してあげられると、そう私は思っていた。
しかしお兄ちゃんが希望する大学は、地元の大学ではない。その場合、その州にすむ学生が優先であり、州外からの学生は授業料が2倍という壁ができる。
単純に計算して、4年間の授業料は2000万円以上であり、生活費を含めると、どれほど切り詰めても我が家には用意できる金額ではない。

 私は途方にくれた。
経済的に苦しい家庭、片親が育てている家庭にアメリカの福祉は手厚い。
しかし、私たちがどのような道を辿りながらこの国での礎を築いて来たか、今、現在の夫の給料からは読んではくれないのだ。
夫は30代半ばから、アメリカに新天地を求めた。
同じように、外国人としてこの国で後ろ盾も無くすべてを最初から築いた人なら、私たちがどのような暮らしをしてきたか、想像に難くないと思う。

 目の前に、自分の努力で手が届きそうな夢があるのに諦めさせる訳にはいかない。私は金策を模索した。家を売り、老後の蓄えに手を付ける、学生ローンを借りる。。。そんな手順を整えていた私に、お兄ちゃんは思わぬことを告げてきた。
「思わぬこと」ではない。
それは、私が一番恐れていたことだ。

 お母さん、そんな顔しないで。
お母さんが心配することはわかっているよ。
でも、大丈夫だよ。

 優しい顔をしながら、私に決意を伝えてくれる。
そんな、そんなことしなくていい。
お母さんがなんとかする、と泣く私にお兄ちゃんは言った。

 お母さん、現実をみなくてはいけないよ。
家にはあと、ふたりいるんだよ。
僕一人だったら、できるかもしれない。
でも、それと同じことをあとのふたりにもしてあげられるかい?

 私は言葉がなかった。
返す言葉が無い私に、お兄ちゃんは言った。

 おかあさん、僕にはね、ただで大学に行ける道がいっぱいあるんだよ。
だからね、これは僕にとっての贅沢なんだ。
だから、自分で払いたいんだよ。

 私は愚かに泣く母でありながらも、一方で、我が子ながらここまで決心するお兄ちゃんを本当にそのとき、心から偉いと思った。
かわいい子には旅をさせろということだよ。。。と、夫はまるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやいている。
彼が男児一生の仕事と思うことには、軍の経験は無駄ではない。
そこまで自分の将来を見据えて決心している彼に、もう私は何も言うことはできなかった。

 すべてを親子で決めて姑に伝えるとき、私は嫁して初めて、義母に叱られると思っていた。
お兄ちゃんが生まれてから18年、一度もかかさず彼が生まれた数字の日には必ず電話をくれる。
10月なら10月16日、11月なら11月16日。
お兄ちゃんは姑にとって初めての孫だ。分け隔てなく、どの孫にもあふれんばかりの愛情を注いでくれる義母だけど、お兄ちゃんの成長は、そのまま姑の祖母としての日々。
きっと、私と同じように取り乱してしまうのではないかと覚悟していた。

 しかし姑は違った。
私の話しを静かに聞いてくれていた義母は、すかさず言った。
信子さんの気持はよくわかる、でも、あの子の思うようにさせてあげなくてはいけない。
あとで後悔するようなことがあってはいけない。そこまで考えてすることなら、応援してあげなくてはいけないと。

 私は涙が出てしかたがなかった。
そして、それと同時に、義母はこういう思いで夫を育ててきたのだと、本当に心から感謝した。
 無謀なこと、大きな危険を伴うことに、身を挺して我が子を守ることが愛情であるのと同じように、どんな結果になろうとも、子を信じて、望むことに常に寄り添って応援してあげることも愛情だと姑をみていて思う。

 お兄ちゃんが望んだこの道も、とりかえしのつかない出来事が起きたら、このような愛情をしめした私を蔑む人もいるだろう。でも、私はその蔑みも甘んじて受けようとおもう。そして、そういうことがあったら、弱い私は自分の選択を後悔するだろう。だからこそ、いま、この思いをこうやって文章にのこしておこうと思うのだ。

 今朝早く、お兄ちゃんは一人旅にでかけた。
最終的に二つに絞った大学を訪れて、自分でどちらに行くか決めるという。
我が家にはアイビー・リーグという選択肢はなかったけれど、彼は自分ひとりの力で、パブリック・アイビーと呼ばれる複数の大学の合格通知を手に入れた。
本当に、晴れやかな、嬉しそうな顔で出かけて行った。

 これから彼は、希望する大学に通いながらアメリカ軍のROTCを受ける。
母はいつも、どんなときも「君死にたまふことなかれ」とおびえているだろう。
でも、今の母は、涙にくれた日の母とは違う。
 父親の背をみて育った君は、あの日、若かった母が見上げた父にそっくりだ。

 お母さんはね、あなたはきっとお父さんと同じように、努力を惜しむこと無く、自分の人生を切り開いていってくれるだろうと信じているよ。
いってらっしゃい。母はいつも、あなたを応援している。
あなたの祖母が、父を見守ってくれているようにね。