お年頃なのか、私も身体の変化をいろいろ感じる今日この頃。先日夫とそんな話しをしていていた折、夫が何気なく言ってくれた言葉がおかしくて、いま、私達夫婦の間で合い言葉のようになっています。
涙が出るほどおかしくて笑いあったあと、ふっと 懐かしいシーンが私の頭に浮かんで来て,それを思い出す度に、何ともいえない幸せな気持になるのです。
私が小学生、きっと今の娘ぐらいの頃か、それとももう少し幼い頃だったか。NHKで放送されたアメリカのテレビドラマ『大草原の小さな家』は、何度も再放送されながらも新しいシーリーズが続き、主人公も同じ様に年を重ねて,私が高校生になる頃には,大人になったシリーズが放送されていたように思います。
その頃のある一話が、ここのところ私の頭をよぎります。
これから先は私の記憶です。
勝手な脚色があってもお許しください。。。遠い昔に、たった一度だけみたドラマなのです。
ある日、母さんが妊娠に気づき大喜びします。しかしそれは妊娠ではなく、お年頃の身体の変化だったという設定でした。
母さんはたいへん落ち込んで,悩み、明るさも消えてしまいます。
人生に悲観して、自分の存在価値さえ見失う。。。そんな中、父さんがあることを計画するのでした。
ある日,父さんは母さんを窓辺に誘います。
怪訝な顔をする母さんに,父さんは母さんにここで待っている様に伝えて、自分は外に。
そしてはしごをかけて,窓に上がっていくのでした。
何をふざけているの? と不思議に思う母さんに父さんは言います。
「君にもう一度プロポーズをしたいんだよ」と。
あの日の若かった自分と同じように、これからの人生も一緒にすごしていきたい。
そう真摯に語りかける父さんに、母さんは笑いながらも感激して、自分がどれほど愛されているかあらためて感じる。。。そんなお話でした。
そのお話をみてた私は確か高校生。
そのような身体の変化が起きてくるのを知識として持っていても、実感はもちろんありません。
いつものお話で繰り返される優しい夫婦愛にふれて、いいお話だったな。。と、そんな印象だけが私の記憶にのこっていたのです。そんな記憶が、夫の何気ない会話で自分の身体によみがえって来た時、あの日のお話の中の母さんと同じ思いが自分にわき上がって来て、ほんとうになんともいえない幸せな思いに涙がとまりませんでした。
それを夫に伝えると、父さんのセリフが粋だと。自分はそういうことが言えないからいけないのだろうなあ。。と反省するのでした。
記憶というものは本当に不思議です。ほんのちょっとしたきっかけから、何十年も思い出すこともなかった瞬間がフッとよみがえる。
そして、それが幸せな記憶ならよいのですが、哀しい記憶は時に、ひとを心の病に誘うこともあります。
嫌な記憶を消すことはできない。幸せな記憶を重ねていくしかないんだよ。
そう夫に語りかけられながら、私は年月を重ねて生き直して来たようにも思うのです。
先日、お母さんが一番大事な日はいつ?と娘が聞いてきました。ある日付を伝えると,不思議な顔をします。誰の誕生日? と聞くので,お父さんと初めて会った日と伝えました。教えながら,その日から30年も過ぎたということに気づかされました。
Thanksgiving … お母さんは誰に感謝するの?と娘が聞いて来て、私はすかさず「お父さん」と応えました。
夫が私に伝えてくれた言葉は、なにそれ??と、大笑いしてしまうような言葉。お話のような粋な発想などは何もないひとではあるけど、30年の年月、時に哀しみに押しつぶされそうになる私に伴走してくれた夫に、私は感謝の言葉しかうかびません。
そして、もうひとつ。あのドラマには,素敵な結末がありました。
はしごの上で喜びを分かち合う父さんと母さんをみて、「何をやってるのか,今時の若い者の考えることはわからん。。。」とあきれながら見上げている老夫婦がいるのでした。
今までの私達の30年は、決して平坦なものではありませんでした。
これからもきっと、いろいろなことがあることでしょう。
それでも,なんとか日々をつなげて、一緒に過ごしていきたいと思うのです。
私を妻に選んでくれてありがとう。
Thanksgiving の朝に、私は夫に、心から感謝したいと思います。