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2017年9月8日金曜日

この街に支えられて

 8月も終わりの日、街のフェイスブックにある投稿がのった。
ながらく洋裁店を営んでいる私のおばあさんが腕を怪我した。ドレスを仕上げなくてはいけない。誰か助けてくれる人はいないだろうか、お孫さんからの投稿だった。

 すぐに、お客様でもある日本人の友人が、私を推薦してくれた。でも、数日が過ぎても何も連絡はない。もう誰かが決まったのだろうな。とそんな風に思いながら日々をすごして私もそんなことも忘れていた頃、突然電話がなった。

 今からあなたのスタジオに行きたい。あってくれますか?と、腕を折られたご本人からの電話だ。
びっくりしたけれど、困っていらっしゃるのが息遣いからもわかる。すぐに快諾して来てもらう約束をすると、おばあさんはお孫さんに支えられながら、紙袋を持って我が家にやって来てくれた。

 これがそのドレスなの。。。とすぐに説明を始めるおばあさん。
仮縫いが終わった状態で、たくさんのピンが打ってある。でも、まだまだこれから仕上げなくてはいけないところがいっぱいだ。

 あなたならどう仕上げる? と聞いて来た。
ここがこうで、ここはこう縫って。。。とやり取りをしていたら、それではそのように縫ってもらいたい。と、すぐに言ってくれた。

 わかりました、納期はいつですか? と聞いたら、木曜日にはお客様が取りに来る。結婚式が土曜日なの。。。っと、言った後、そのおばあさんも顔が引きつっているのがみてとれた。えっ? 木曜日?? 今日は9月5日の午後 。。。7日の朝には仕上がっていなくてはいけない。しかも今日は子供達の学校の初日、色々放課後も子供達の予定がある。

 うわ。。っと、思ったけど、もう困っていらっしゃるのが手に取るようにわかる。
これはなんとかしなくてはいけない。自分ができることであるなら。
と、とっさにそう思った。

 わかりました、それではどのように仕上げたら良いか、もう少し詳しく教えてもらえますか?と聞くと、いろいろ教えてくれる。それを聞いていたら、同じものを作る人間として、彼女が手仕事をしている姿がなんとなく目に浮かんで来た。どんな小さなことでも彼女の所作、こだわりがあるはずだ。これは、私の基準で仕上げてはいけないと思った。

 わかりました。私が作ります。でも一つお願いがあります。私があなたのスタジオに出向きますので、一緒にそばにいてもらえますか?私があなたの手になります。全てを見届けて、指示をしてもらえませんか?と、そんなことを言ってしまったのである。

 そうしたら彼女は、そうしてくれますか?っと。ホッとしたような表情をうかべてくれた。
さあ、乗りかかった船、なんとかしなくてはいけない。
学校の初日、子供達もそれぞれに元気いっぱい帰って来てくれたところを見届けて、さあ出発。

忘れちゃいけない老眼鏡♪
なんて思いながらいざ出陣!

 教えられた住所に出かけると、そこは歴史ある街にそびえるビクトリアンスタイルの大きな家の一角。素敵なお店だった。
彼女曰く、生地はシルクしか扱わない。エレガントなドレスのラインを作るのは絹しか考えられない。そこが彼女のこだわりだという。

 実際お店に並んでいるお品はどれも、本当にオーソドックスなデザイン。だからこそ素材の良さと縫い方が出る。一瞬身が震えた。

 到着したのが夕方の5時半、さあ始めようとすぐに彼女の仕事場に連れて行かれて、すぐに生地が広げられた。骨を折って1週間も経っていない。とても辛そうだ。息を切らしながら、私にいろいろ指示をしてくれる。
私が思った通り、縫い代の量、割り方、角の仕上げ方。角の出し方。どれをとっても細かく指示される。
それでも本当に優しい。彼女も藁をもすがる思いなのだろうけれど、私が何をしても、beautiful, excellent  と、優しく励ましてくれた。

 ミシンに向かう私の後ろで、楽しい話も聞かせてくれる。
ポルトガルから移民でやって来たこと。
このお店を持った経緯、そしてこんな話題も。

 彼女のドレスは結婚式のみならず、いろいろな場を想定して注文される方も多い。
オバマ大統領主催のホワイトハウスでの晩餐会、ノーベル賞授賞式、スエーデン国王主催の晩餐会へのドレスも手がけた話を嬉しそうに聞かせてくれた。

 それでも私も日々の予定がある。これだけにかかるわけにもいかない。
決まっていた仕事の予定をこなしながらの夜だけの縫い子仕事になった。
そして水曜日の夜。もうそろそろ仕上がる見込みがついた頃、彼女がこう言ってくれた。
あなたをもっと早くに知っていたらよかった。そうしたらこんなにいそがせなくてすんだのに、申し訳なかったわね。って。

 そんなことはないわ。とっても楽しい時間だったのよ。私にとってもいい経験だったわ。と応える私。

 実はね、孫娘がフェイスブックに載せること、私は反対だったの。案の定、いろいろやれるよっていう人が出て来た。でもね、そんなわからない人に頼むわけにいかない。
今まで私と一緒にやって来た人はみんな年をとった。誰にも頼めなかったのよ。

 でもね、あなたの住む街には大きなポルトガル人のコミュニテイーがあるの。
知ってた?
どうしたらいいだろう、って私、友達に相談したのよ。そうしたらね、彼女があなたの名前を見てね、Nobukoがいい、Nobukoならやってくれる。って、そう言ったの。だからね、あなたのところに急いで行ったのよ。本当によかった。
 あなたは知らない人でしょうね。でもね、あなたの近所に住んでるのよ。今度紹介してあげるね。って。

 私はびっくりした。
この大きなご縁は、こんな人々のリレーがあって実現したのだ。
フェイスブックの投稿を見て、すぐに私を推薦してくれた日本人の友人、そして、見ず知らずの方。
 私は涙が出てきそうだった。
18年前にローガン空港に降り立った時、私はこのボストンという街に誰一人知り合いはいなかったのだ。
でも今、こんなに多くの人々が私を支えてくれる。
本当にありがたくて、幸せに思った。

 この18年の間には、いろいろなことがあった。
哀しい思いに押しつぶされそうな、そんな日々ももちろんあった。
でもそんな時、大切な友人が言ってくれた言葉が、今でも私を支えてくれる。

 この街はきっと、Nobukoのhome town になる。
ほんとだね、この街に支えられてる。そんなことを感じずにはいられない、そんな出来事。私の街がまた一つ、好きになった。ありがとうね、Arlington.