近頃、友人とのメールのやり取りに、面白がって落款(大げさですが・・・)代わりに[丙午]と書いています。同世代の友人の間で[丙午]が笑いの種になってそれからなのですが、若い世代の友人に丙午の話をしたところ、聞いた事もないと言われたので世代の違いを感じてしまいました。
今年は丑年ですが、丑年といっても己丑(つちのとうし)の年、それと同じように午年と言っても5つ違うなまえがあって,1966年生まれの人は丙午(ひのえうま)年の生まれなのです。
丙午生まれの女性は気性が荒く,夫にくってかかり,家に災いをもたらすという事でお嫁の貰い手がないとか・・・そんな笑い話にしかならないような事が昭和40年代のはじめ、まだまだ信じられていて出生率が大幅に下がるのです。受験の度に「丙午年の生まれのため合格率が・・・」などと、必ず話題になりました。
私が母のおなかに宿った時、ご多分にもれず「丙午の年に子どもを産むなんて・・・」と随分言われたそうです。でも私の予定日はクリスマス、一週間遅れたら未年の生まれになると、母は祈るような思いで除夜の鐘を聞いたと言います。
除夜の鐘が鳴り響き、ああこれでもう、いつ産まれても大丈夫と安心した母の気持ちを知ってか知らずか、何事ものんびりしている私は、しばらくしてお正月休みも終わった頃に生まれました。
小言を言った人たちに意気揚々と私を見せて、「この子は丙午の生まれじゃないんですよ」と言ったら、節分までは前の年、易学上は立派な丙午だと言われた母は、奈落の底へと突き落とされたようだったと言いました。
そんな母に近所のおばあさんが言ったそうです。
おなじ町にある大きなお醤油問屋の奥さんは、実は丙午の生まれ。お嫁入りが決まった時に、やはり随分問題になったそうです。でも、旦那さんが「なにが悪い!」と一喝して縁談が破談になる事もなく、ご夫婦仲は円満で幸せな奥さんだと。
それを聞いて母は、涙が出るほど嬉しかったと言いました。
今日は節分です。毎年、姑が送ってくれるお豆のおまけのお面をつけて、子ども達は大はしゃぎします。家中に広がったお豆を掃除しながら、私はいつも、そんな周りの[おせっかいおばさん]の一言に落ち込んだ、まだ、今の私よりずっと若かった母のことを想うのです。