おんぼろ我が家は1949年生まれ、もうすぐSweet Sixteen ならぬ Sweet Sixty を迎えます。100年を過ぎた住宅も珍しくはなく、築200 年を過ぎた家でもあたりまえで売買されるボストン界隈では古い中に入りませんが、いわゆるAntique 住宅ではない、単に古いお家です。
この家を選んだのは、毎月のMortgageに四苦八苦しながらも、身の丈の価格であったことのみならず、
「おかあさんがあんでくれたぼうし」とおなじ頃に読んでいた、
「ちいさいおうち」の様な形が好きだったこと。そして、この1949年生まれというのも気に入った一つの大きな理由でした。
私が結婚したとき、私達にはお金がありませんでした。それでも仕事場に近いところに住みたいと思って選んだ家は、6畳一間に3畳のお台所、そしてお風呂にお手洗いがついた小さな築40年の木造アパートでした。
場所は東京都文京区の根津。
谷根千と呼ばれて親しまれている下町の一角です。
夕方なると商店街は活気にあふれ、夜には角の食堂から三味線の音が漏れて、楽しそうに歌っているおじさん達、手作りのお味噌屋さん、お豆腐屋さん、佃煮屋さん、麺家のおばあちゃん、懐かしい顔が今でも思い出されます。
その当時の日本は、まさにバブル景気の絶頂期。心ない地上げも横行し、まるで櫛の歯を折ったように土地が買われ、趣のある小さなお家が、鉛筆をたてたような細長いビルに変わっていくのを見ていました。
ある日、夜中に夫と一緒に仕事から帰ってくると、途中で消防車とすれ違いました。別に気にも留めず家に帰ってくると、アパートの近くが水浸しです。なに事かと思ったら、すぐ近くの家が地上げの放火の被害にあっていたのでした。『知らぬが仏』とはこんな事と、びっくりしたことも今ではいい思い出です。
そして、そんな古い小さなアパートでしたが、いつもたくさんの友人が集まってくれました。まだ私達も若く、夫も空手部の監督をしていた縁もあって、友人達は座るところもないほど集まってはいろいろな事を語りあっていきました。あまりにそんな機会が多いので、ある友人は「ドアに縄のれんでもつけたら?」と、笑っていたほどでした。
今では皆、働き盛りを迎えいろいろな 分野で活躍しています。時々テレビでそれぞれの活躍が見れる事も、私の楽しみの一つになりました。
この家が1949年に建てられたと知った時、私は何とも言えない縁を感じました。私達が楽しい時間を過ごしたあの古いアパートと同じ時に、アメリカで建てられた家だったからです。
今年は還暦、あのアパートが残っているかどうか、今の私にはわかりません。
高い天井、広いキッチン、お洒落なリビング。お友達の家に招かれて、それらを羨ましいと感じないと言ったら嘘になります。
でも、『瑠璃の床もうらやまじ』 私にとってこの家は、まさに Payne が想ったような「埴生の宿」なのです。