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2009年9月2日水曜日

見守ること

コスモスの見ている空2.jpg

 先日、友人達との楽しいイベントのメールを 送るべきか、送らないほうがいいのか悩みました。友人のひとりが、いま そんな余裕もない状況にいるからです。
 そして 悩んだ後で、私は送りました。なぜなら 私なら送ってほしいと思ったからです。

 お兄ちゃんが2歳のお誕生日を迎えた頃に,私は新しい命を授かりました。でも,残念ながら生まれてはくれませんでした。死産だったのです。
私がこの悲しみから前に踏み出せて しばらくした頃、近い間柄であるはずのひとが妊娠6ヶ月である事を聞きました。どうして教えてくれなかったのかと尋ねると、「ひがむでしょうから」と言われたのです。私はこの言葉を聞いた時に,私の人間性まで否定されたような悲しみをおぼえ、今でもそれは尾をひいています。そして,日本的な『気配り』というものを嫌悪しました。
 ひとがどのように思うかという事を考える姿勢は大切かもしれませんが、それを先回りして『気配り』するという事は,時によっては傲慢な態度ではないかと思ったのです。

 嬉しい事も 悲しい事も、結局その本人にしかわからないことで、周りの人間はただ見守るだけ。友人の悲しみもつらさも、私には変わってあげる事もできません。
 でもね,忘れないで,貴女を見守っているひとはたくさんいるの。ひとりで抱え込まないで、貴女のつらい気持ちと一緒に寄り添いたいひとは いっぱいいるのよ。
 と,そんなことだけは伝えたいのです。

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